海纳百川

登录 | 登录并检查站内短信 | 个人设置 网站首页 |  论坛首页 |  博客 |  搜索 |  收藏夹 |  帮助 |  团队  | 注册  | RSS
主题: 老随,你要紧跟形势,向俺靠拢。
回复主题   printer-friendly view    海纳百川首页 -> 罕见奇谈
阅读上一个主题 :: 阅读下一个主题  
作者 老随,你要紧跟形势,向俺靠拢。   
所跟贴 老随,你要紧跟形势,向俺靠拢。 -- Anonymous - (682 Byte) 2004-12-30 周四, 上午8:28 (636 reads)
八佰伴
[博客]
[个人文集]

游客









文章标题: “印度是,富人没有中国富”? 不要把无知当有趣嘛。 (229 reads)      时间: 2004-12-30 周四, 上午10:47

作者:Anonymous罕见奇谈 发贴, 来自 http://www.hjclub.org



私たち家族は3年以上もインドに駐在していながら、実はインド人の暮らし振りの、本当のところはよく知らない。
日本のように、国民の殆どが似たり寄ったりの生活レベルを保つ国と違い、インド人の暮らしはどこを例にとっても、それが平均的インド人の暮らしとは言えないのだ。
貧富の差は激しく、全てが同じインド人であること自体不思議なくらい、極端に違う世界を持つ人々が同じ国の中に同居している。
何段階くらいの生活レベルの差が存在するのか、全くもって不明だが、私が垣間見、私なりに理解した彼らの姿を紹介しよう。

超大金持ち

インド人の大金持ちの暮らしは、私たち日本人からも、とても想像がつかない。特に国際的に活躍するインド人ともなると、正にマハラジャ的だ。
ヨーロッパを初めアメリカ、シンガポールなどに幾つか生活の拠点、すなわち家を構え、仕事に合わせて数年ごとに住み替える、なんて人々もいた。
教育に関しても世界最高レベルで、英語のみならず、数ヶ国語を完璧に使いこなすこともある。彼らはインド人というより、インド国籍をもった国際人。考え方などもインターナショナルで、インド人特有のあくの強さも感じさせない。
外観も実に洗練されていて、どんな国のどんな場所にも通用しそうな貫禄もある。それでいて、自分の国インドも大切に思っているらしく、時々は帰国し、子供達に自国を忘れさせない努力もしているらしかった。

夫の仕事関係の大金持ちインド人の結婚式に招待された事があった。大金持ちは、結婚式を数日間に渡って催すのがこちらの慣わし。ホテルでパーティーを開き、翌日はボンベイ湾へのナイトクルーズも行い、それから競馬場(!)を借り切って屋外の大パーティを二晩という豪華ぶり。
夫は全4日間の結婚大披露宴に毎晩出向き、私もナイトクルーズには、夫の同伴として招待された。

結婚式に招待されると、招待客がご祝儀にお金を包むという習慣は日本と同じだったが、新郎新婦がお人形のように着飾る事もなければ、会場は生花一つない実に質素なものだった。
また、広い競馬場をや船を借り切るという発想はお金持ちならではだが、内容はシンプルすぎるほどシンプル。日本流のごてごてに飾り放題の結婚式に慣れっこの私たちには、違和感があったのは事実だ。

また別の機会に、あるインド人のホームパーティにお呼ばれした事があった。ぼろのビルのワンフロアにあるお宅だったが、玄関を入るとそこは金銀きらきらの豪華な空間が広がっていた。
イタリアから輸入してきたと思われる家具調度品がずらっと並び、シャンデリアとクリスタルの置物が眩いばかりに輝いていた。
貫禄たっぷりの奥様は、すばらしいサリーときつめの香水に身を包み、ゲストにインド料理のビュッフェを勧めていた。
扉一つ隔てただけで、突然ヨーロッパの一流ホテルのロビーにでも迷い込んでしまったかのような、外と内とのギャップの激しさは、日本人にはついては行けない感じだった。

インド経済の上澄みに位置する彼ら超お金持ち一族は、たかが日本のサラリーマン家庭の私が言うのも、大変おこがましいが、他のインド人に比べたら遥かに国際的感覚の持ち主だと思う。
母国インドに付いても、冷静で客観的な見方をしていて、「インドはとても汚い国で、このままではいけないと思う。」と話していた。
彼らがそのことについて具体的に何か考え、行動を起こしているのかは知らないが、少なくとも経済的方面からインドを動かす力は持っているだろうし、将来のインドのあり方に、一石を投じられる立場にあるのは事実だと思う。是非、インドの良きリーダーになって欲しいものだと感じた。

インド型お金持ち

世界中を飛び回る超お金持ち族とはかなり格差はあるが、このインドにおいて、衣食住に何不自由なく暮らしているインド人は、貧乏人ほどではないにしろ、かなり沢山いる。
彼らは、国内ではそれなりに通用する地位や名誉を築いている人々で、プライドが高い。
これは、全く私の個人的見解、というより「偏見」になってしまうのだろうが、率直に自分が感じたことを言えば、彼らの多くが「インドは世界一」という考え方をとても強く持っていること。世界をまたに掛けている超お金持ちの人々と異なり、彼らはインド国内にしっかりと根を生やして暮らし、全てがとてもインド流であると感じていた。

そんな彼らの持つ、インド的な考え方にとてもがっかりさせられた出来事があった。
グランド・パラディの住人専用公園で私たち家族が遊んでいたときの話。息子が自転車の練習をしていたところに、インド型お金持ちの中年男性が、ペットの大型犬を連れて散歩にやって来た。その犬は私たちが遊んでいるすぐ側でフンをした。そしてその飼い主はフンの始末するでもなく、何食わぬ顔でそのまま立ち去ろうとした。
私の夫はその一部始終を見ていて、犬の飼い主としてのあるまじき行為に対し、「犬のフンを片付けないのですか?」と意見した。
「そんな事は私の知った事ではない」その飼い主の答えはこうだった。
「だって、あなたの犬のしたことでしょう。あなたの責任ではないですか」
「ここを掃除するのはあいつらの仕事なんだ。私のする事ではない」
その男性は、公園の見張番のインド人を指差しながら、憤慨した表情で夫に向かってそう言ったのだった。
それでも片付けるべきなのでは、と食い下がる夫に、「ここはお前の土地ではない。お前に片付けろと言われる筋合いはない」と受け答えした。
負けず嫌いの夫、なおも「ここはあなたの土地でもないでしょう。汚す権利はないのではないですか」と、訴えたが、この言葉は完全に無視されてしまった。
周囲には他にもたくさん犬のフンが干からびた状態で散乱していたので、きっとあのインド人はいつもここで飼い犬に用を足させていたらしかった。

正直、このインド人のマナーには私も夫も開いた口がふさがらない感じだった。
豊かな暮らしをし、それなりの高い教育を受け、社会的にも影響力ある彼らが、この程度のモラルしか持ち合わせていないというのは、貧民が多いというインドの現状などよりも、もっと憂うべきことのように私には思えてならなかった。とてもがっかりしてしまったのだ。

お金がある人々は、生まれたときから、面倒な事、汚い事はみんな使用人に任せで育つ。自分が食べて散らかしたキッチンも、汗臭くなった衣類も、水浸しのバスルームも、片付けるのは使用人、という暮らしを当たり前のようにしている。結果的に、自分自身の手を汚すことは恥ずかしいこと、という文化が出来上がっている。

インド型お金持ちは、実は私たち駐在員にとっては、経済的に近く、最も交友関係を築きやすいインド人だった。でも、上記のような場面に遭遇するたび毎に、どう頑張ってもこの彼らの考えにはついていけない、友達にはなれそうもない、という感を私は強めてしまった。
もちろん、いくらでも私たち日本人と仲良くなれるインド人は存在するのだが、当時の私は、彼らの背負っている「お国柄」に完全にGive Upしてしまったらしい。その向こうに潜む個々の「人間性」については考えようとしなかった。
探す気なら、魅力的な人間性を持ち合わせたインド人が周囲にいたはずなのに、私はそういう人を見つけ出すことが出来なかった。彼らの素晴らしさに触れることなく、インドを去ることになったのだ。

あれから長い時間を経て思うことは、互いの「お国柄」の向こうにあるはずの「人間性」を掴もうとすること、私が簡単に放棄してしまったそういう努力こそ、国際理解の第一歩だったのかなあ、ということだ。


とても貧しい人々

一言に貧しい人々と言っても、こちらもお金持ち以上に様々な階層の人々がいた。
末は家も無く職も無く、路上で寝起きし、昼間は行き交う人々のお慈悲にすがり、今日から明日へ命を繋ぐ人々だ。彼らの財産と言ったら、ダンボール紙やビニールでこしらえた掘っ立て小屋と、数個のステンレスの鍋釜と食器、今着ている服とそして家族。

元は地方の出で、一攫千金を夢見てボンベイなどの大都会へ家族で移住してきた人も多い。想像以上に厳しい都会で、思ったような職にもつけず、結局街の片隅で「バクシーシ(お恵みを)」を合言葉に生きることを余儀なくされているのかもしれない。
彼らの身なりはひどいものだ。雑巾のような服をまとい、髪はくしゃくしゃにもつれ、埃まみれでべとついている。背負われたり抱っこされたりしている乳飲み子は、寝ているのか、それとも暑さと栄養失調のせいかぐったり目を瞑ったままだ。子供達はもちろん裸。靴もサンダルもなしに熱いアスファルトの上を爪先立ちで駆け回り、恵んでくれそうな人々の間を行き来する。
こういった路上生活者の家族の主、つまり夫や父は一体何しているのかな?と思いきや、妻子が「バクシーシ」のお仕事をしている間も、木陰で昼寝だ。一人でぐーたらしている姿が目立った。男がこうして怠け者だから一家が路頭に迷っているという典型を私はいやと言うほど見た。

工事現場などで、朝から晩まで日雇いで働く家族もある。3歳4歳の幼子も、大人に混じって布袋に詰めた砂利を運んだりするのだ。中には生まれたばかりの弟妹を背負い、けなげに頑張っている子もいる。車の往来が激しい道端で、事故に遭ったりしなければいいなと思いつつ、私はその横を車で通り過ぎた。
夜になると工事現場の脇で、彼らは一家揃って川の字に寝ていた。私たちの運転手の話だと、こうして現場を転々としながら、子供が生まれ、家族が増えていくという。こんな暮らしでも、人間は十分繁栄していくんだ・・・と人間の底力を感じずにはいられなかった。

インドは貧しい国だ。けれど見方を変えれば実はとても豊かな国かもしれない。積極的な経済活動を行わない人々を、何億人も国全体で養っているのだ。本来ならば働き盛りであるはずの立派な大人が、そこここで昼間から惰眠を貪っていても、何とか生きていかれる。子供も生まれ、育っている。学校に行かなくとも、両親の背を見て「バクシーシ」と言って生きていくための技術を学んでいる。

「貧しい人々に恵む行為は、自分自身の宗教的徳を積むことになる」という考え方がインドにあることも、こうした貧民層が減らない原因だと聞いたことがある。
一方、貧しい人々から見たら、自分達が存在するから恵むという行為がなされる訳で、それで誰かが徳を積む事ができるのならば自分達の存在はとても価値あるものだと理解するのだろうか。
物欲に支配され、欲しいものを手に入れるため、思いを叶えるために懸命に働き、日々消耗していく暮らしに浸りきってしまった私たちには、何も持たず、ただ明日に向かって今を生きている人々の生き方は、悲しいけれど殆ど理解できない。彼らはこの世に生まれてきて幸せだと思っているのだろうか?綺麗な服を着て、心地良い布団で眠りたいと思っていないのだろうか?腐りかけた残飯よりもっともっとおいしいものがこの世に存在する事を知っているのだろうか?今の暮らしから脱却するために、何か努力をしているのだろうか?
街を通り過ぎながら、彼らの姿を見る度に、私は歯がゆさを覚えたものだ。すばらしい世界がいくらでも広がっているこの時代に、インドのこんな汚れた道端暮らしで一生を終えてしまってもいいの?そう心の中で問い掛けていた。

でも私が哀れみをもって彼らを見つめていたのに対し、当の本人達は余りにもあどけない笑顔で見つめ返して来たものだ。
写真好きの人にとって、インド、インド人はこの上ない被写体だという。確かに貧しい人々ほど、私たち21世紀を生きる標準的人間からは全くかけ離れた風体をし、それを裏切るかのような無邪気で屈託の無い表情をしていたのだ。

車のウィンドウ越しに彼らとマジマジと向き合ってしまったときなど、ふっと、
「お金はあるのかもしれないけど、あんた達って可哀想よね。いろんなしがらみにがんじがらめになって。その点私たちはとっても自由よ。貧乏だけど毎日好きなように生きているんだから。」そう逆に彼らに哀れまれている気がしてきた。
そうだ、そうだ。確かにそうだ。こぎれいな服を着て、おいしいものをほおばって、こうして運転手付きの車で移動してたって、時々人間関係なんかで頭を悩ませ、浮かない顔しているのは私の方だからだ。

一番庶民らしい人々

「超お金持ち」でも「ちょっとお金持ち」でも「とても貧しい人々」でもない人々を、少し強引ではあるが「一般庶民」と区分してみよう。
彼らは、人のお慈悲にすがらないと生きて行かれない「とても貧しい人々」と違い、何らかの職を持ち、働く事でお金を得て生活をしている。つまり経済活動をしっかりと行っている。粗末なものではあるが、衣食住が整い、最低限人間的、文化的レベルの生活を送っている。
贅沢やきらびやかさとは無縁の彼らではあるが、その努力と運次第では可能性は無限にある人々で、彼らが将来的に経済力を増していけば、明らかにインド全体の経済を活発化させていくことに繋がることだろう。

けれども現在のところ、ごく普通に働いているくらいでは、テレビ、電話、カメラ、冷蔵庫、洗濯機などの便利な機械は、彼らにとってはまだまだ高嶺の花であり、そう簡単には手が届く代物ではない。そういう意味で、日頃から自分たちの暮らしに「貧しさ」を感じずにはいられないのがこの人々の特徴だ。
この「一番庶民らしい人々」の代表として、真っ先に私が思い浮かべるのは、運転手や使用人として私たちの身近で働いてくれていたインド人たちだ。
私は根掘り葉掘り彼らにその暮らしぶりについて尋ねるのは少し気が引けていたので、彼らとの関わりの中から偶然に知り得た情報しかないが、それを紹介しようと思う。

私たちの運転手として働いてくれていた男性達は、その殆どがインド南部から、賃金の高い都会へと職を求めて上京してきた人々だった。
仕事の多い都会でも、安定した職に就くことはかなり難しく、条件のよい仕事を求め、職場を点々とすることも珍しくないようだった。
100ルピー(およそ300円)でもサラリーがいい他の仕事の話があれば、すぐにでも勤め先を変える事に躊躇しない様子だった。
運転手たちの生活の不安は、かなり大きかったようだ。契約社員クラスならば、怪我や病気で仕事が出来ないときはお金がもらえず、即、生活できない事態が発生するからだ。妻の出産や引越しで一時期にまとまったお金が入用になり、金銭的に窮すると、私たち雇主にお給料の前借を申し込んで来る事もあった。

彼らの収入は、残業代を含め1ヶ月に2~3万円程度。ボンベイから2時間も離れた郊外で、月2千円程度の賃貸に妻子共に暮すケースが多かった。
もちろん私は彼らの家を訪ねたことがないので、これは私の勝手な想像だが、テレビ、冷蔵庫などは持たない生活をしていたと思う。電話も個人で引いている人は極僅かで、数件で共同で使用している場合が多かった。急用の際でも、私たちの方から電話で彼らを呼び出すことは不可能で、彼らにポケベルを持たせ、向こうから連絡を入れさせていた。
教育程度はその出身州や生活レベルで様々だったが、英語に関しては何とか必要最低限の意思疎通が私たちと取れる程度。読み書きは無理な人が多かった。

けれどもその分、子供には早くから教育を受けさせようと努力している人もいた。
意外にも、インドでは子供の早期教育が盛んで、特別な金持ち家庭でなくとも、1歳半になると子供達をスクールに入れていた。日本の幼稚園とは違い、遊びが目的でなく、ペンが持てれば早速ABCのお稽古をさせるということだった。
他を削ってでも子供の教育費にお金を費やし、少しでもエリート社会に食い込めるようにという、必死の親心ということなのだろう。

こんな事件があった。私たちの運転手として暫く働いていた男性が、ある日突然、お給料の前借をした後に、連絡が途絶えたのだ。待てど暮せど何日も仕事に出て来ないので私たちがおかしい、と思った頃、運転手仲間から「彼はデュバイへ出稼ぎに行ったらしい」という話が漏れ聞こえてきたのだ。
私たちの元で仕事をしたのも、ビザが下りる間のデュバイへ渡るための資金調達だったようなもの。どうやら、こちらが少し信用し、前借に応じてくれるタイミングを待っての、計画的行動だったとみえる。

その姿をくらました運転手に限らず、中東、シンガポール辺りに出稼ぎに出るインド人がとても多かった。聞くところによれば、往復の交通費を差し引いても、2年外国で働けば、インドでの10年分は軽く稼げるという話だった。
人件費の安いインドの状況にうんざりし、外国で小金を貯めようと出稼ぎを希望する人は後を絶たないが、実際にはそう簡単にはビザが発給されないという現実、慣れない国での生活や職探しも想像以上に困難であるという話も聞いた。
綿密な下準備、それに自国や家族の元から離れる不安も大きいため、いくらお金が欲しいと思っても、出稼ぎに出るには相当な一大決心が必要だったとみえる。

これは私たちが出稼ぎ者の一行に出会ったときエピソードだ。
私たち家族は休暇を利用して、インドの南下にあるモルジブという島へ旅行に出た。まずボンベイからインド最南端のトリバンドラムという町へ飛び、そこからモルジブ行きの飛行機に乗り込むことになった。モルジブとは、さんご礁に囲まれた小さな島々からなる国で、海がすごく綺麗な事で有名なリゾート地だ。
モルジブ行きの飛行機は、120人乗り位のやや小ぶりなもの。最前列に陣取った私たちが後ろを振り返ると、そこには緊張した面持ちで背筋を伸ばし、ひしめき合いながら腰掛けるインド人男性達の、真っ直ぐな視線があった。
彼らは皆似たような背格好で、一張羅のシャツにズボンを着ていた。まるで集団出張に行くかのように、揃ってアタッシュケースを膝の上に乗せていた。あのおしゃべり好きのインド人にしては珍しく、皆一様に黙りこくっており、代わりに私たち子連れの日本人2家族のわいわい騒ぐ声が、飛行機全部に響き渡っていた。
海のリゾートモルジブに行くにしては、彼らインド人の地味なシャツとズボン姿、そしてアタッシュケースという出で立ちは妙に不自然だった。私たち一行が間違った飛行機に乗り込んでしまったのではないか?と一瞬不安になったほどだ。

なぞはモルジブに到着してから解けた。その飛行機はモルジブ経由デュバイ行きだったのだ。私たち以外は、全員これからデュバイへ出稼ぎに行くインド人たちだったのだ。
そう言えば、トリバンドラムで飛行機に乗り込む際、遠くから見送るインド人家族の姿がそちこちにあった。あれは、一家の主、夫や父を見送る妻子の姿だったのだ。
家族に見送られ、生まれて初めてインドを離れ、数年間の出稼ぎに旅立とうという彼ら、しかも飛行機という空飛ぶ乗り物に乗るのも、恐らくこれが初めての彼らの心中はどんなにかだったのだろう。私たちが機内で見たインド人の顔は、皆どおりで、これから判決が下されるのを待つ者のように、不安と緊張で一杯の表情をしていた訳だ。あの時の彼らの何とも言えない心細そうな視線は、今でも私の脳裏に焼き付いている。

一方、外国の空港では、いかにも出稼ぎ奉公の年季空けで、これから家族の待つインドに帰るところ、というインド人を見掛けたことがある。カートの上に家族へのお土産を山ほど積み上げ、本人もパリっとしたジャケット姿で貫禄も漂っている。インドを発った2、3年前のこわばった面持ちと違い、家族に会える喜びと、しっかり稼いだ充実感一杯の表情だ。
その姿を見た時、私はなぜかインドの空港の出口で、数年ぶりの再会を果たすであろう妻子の気持になって、思わず胸が熱くなったものだ。

義務教育もそこそこにしか受けられず、特別な技術も持っていなければ、都会ですら真面目に頑張って働いても、月に数万円を手にするのが精一杯のインド。現状を打破しようと思い切って出稼ぎに出た人々は、確かにインドでは考えられないようなお金を手にして帰ってくるらしい。でも、そのお金も、日々の生活費であっという間に底を尽くのだろう。
人件費が安いインドでは、海外と同じだけの収入を得ることは不可能であり、出稼ぎの味を占めた人は、今度は国内では馬鹿らしくて働けないという現実に遭遇するらしい。
貧しい現状を打破したい、家族に少しでも豊かな暮らしをさせたい、という思いから、勇気を出して出稼ぎを考えるインド人は後を絶たない。でもそれは将来的に発展するための資金作り、と言うより、数年外国で辛抱すれば、インドでしばらく楽して過ごせる、という悪循環の始まりなのかもしれない。結局1度出稼ぎした人は、2度3度繰り返して出掛けて行かざるを得ないという。
だからボンベイの各国領事館前には、こういう理由でいつもビザを申請する人々の長蛇の列があった。

私から見たら、十把一絡げに「庶民」と思えた人々の中にも、実は様々なランクがあったらしい。当事者の彼らには、その微妙な違いというのがしっかりと嗅ぎ分けられるとみえ、どの使用人に対しても務めて平等に私たちが扱おうとすると、返って彼らの間にトラブルのタネを撒いてしまう事もあった。
日頃自分よりお金のある者と区別され、悲哀を味わっているせいか、自分より身分が低いとみなす者と同等の扱いでは、プライドが許さないというのだろうか。
職業によっての貴賎というのも未だに存在し、複数のランクの人々が居る職場では、自然と彼らの内でルールが出来上がっていた。それは私たちよそ者には到底理解できなければ、仕切ることも出来ない、インド人の体の中に染み付いた生きることのルールのようだった。
貧しい人になればなるほど、そういう目に見えないものに縛られ、こだわっているように私には思えたものだ。それが、「カースト制度」の名残なのだろうか。

インド人庶民は、そのライフスタイルが旧態依然であるのと同様、まだまだ考え方も古く、封建的であると言えるだろう。
表向きには廃止された「カースト制度」、でも庶民の間では未だにそれが幅を利かせているという現実。それは裏を返せば「カースト制度」に支配された歴史があったからこそ、今のインドがインドであるとも言えるし、それに現在の人々の価値観そのものにもなってしまっている部分もありそうだ。
インドに100%浸った暮らしをしている彼ら「庶民」が、本当のところ、皆が平等に暮せる未来のインド像を思い描いているのかどうか、私には多少不安があるのだ。


http://www.chuzai-madam.jp/text27.htm

作者:Anonymous罕见奇谈 发贴, 来自 http://www.hjclub.org
返回顶端
显示文章:     
回复主题   printer-friendly view    海纳百川首页 -> 罕见奇谈 所有的时间均为 北京时间


 
论坛转跳:   
不能在本论坛发表新主题
不能在本论坛回复主题
不能在本论坛编辑自己的文章
不能在本论坛删除自己的文章
不能在本论坛发表投票
不能在这个论坛添加附件
不能在这个论坛下载文件


based on phpbb, All rights reserved.
[ Page generation time: 0.301819 seconds ] :: [ 23 queries excuted ] :: [ GZIP compression enabled ]